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ジェイ・ワイズ・トライアンフ株式会社 |
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物事の本質をしっかり捉えて、実践し継続することは難しいですね。 たとえば、横断歩道で歩行者信号が青点滅していた場合、あなたはどうしますか? 1.点滅は横断可能であり、歩行者優先であるので、堂々と歩行する。 2.ちょっと気が引けるが、車さえ来なければ大丈夫なので、注意して渡る。 3.十分に注意すべきなので止まるべき・・であるが、他の人が渡っていたらついつい渡る。 4.車が来ていなくても、どんな危険が潜んでいるか分からないので、必ず止まる。 上記のどれが正解なのか? これは、その人の安全に対する考え方とか、普段からの行動パターンが反映されているものだと思います。決して、どれかが正しいとか間違っているとかではなく、自分自身が決定して自分自身をどう守っていくのかということだけだと思います。 最近、私は4.を選択するように心がけています。 それは、自分の内なる法則に従うことが、精神的自由を獲得できるような気がしたからです。精神的自由と表現しましたが、要は『素直に生きたい』という欲求を満たしたいということです。 私は、山口県の田舎で19年間過ごしてきました。 信号もない、コンビニもない、電車もない。 あるのは、視界にはほぼ100%の緑色に染めてくれるほどの大自然だけです。(学校で風景画のスケッチがあると、緑色の絵の具が一番最初に無くなってしまいました。) 小学校の全校児童数100人、私のクラスは男21人女4人の計25人です。まさに、超ド級の「田舎者」です。当然、勤務されている先生方そして校長先生に至るまで、全生徒の名前と性格を理解されていました。 そんな環境の中ですから、良いことも悪いことも、超特急で学校中に知れ渡る状況です。私は、根本的に内弁慶で小心者なので、人目が気になって悪いことができませんでした。常に「誰かに見られている」的な感覚がありました。 でも、それが窮屈でもなかった。なぜなら、間違えて悪いことをしたときに叱ってくれる大人が沢山いましたし、いいことをしたときにはとびっきり褒められることが多かったからです。大都会のように、見て見ぬふりをする大人は少なかったと思います。 いつからなのでしょう。「誰かに見られている」という意識が薄れてきたのは・・・。 きっと、そんな田舎から離れて、都会に住むようになってからだと思います。それは、都会が悪いと言っているのではなく、環境の中でどう生きていくのかということを私自身が真剣にとらえていなかった結果なのだと思います。 私の弱さと言い換えた方が、正確な表現だと思います。 ここ何年間も、自分の潜在意識の中に植え付けられた、「誰かに見られている」という感覚と都会の中で安易に受け入れたものとの鬩ぎ合いが常に続いていました。自分の子供には、「約束を守りなさい」「ルールは守りなさい」「~を守りなさい」等諭すように言っていながら、できていない自分に対する反省です。 すっきりと胸を張れる生き方をしたい。それが、今の正直な気持ちです。 少なくても、物事の本質を捉えるとき、「誰かに見られている」感覚と子供たちに対する思いを思い出しながら考えていきたいと思います。 微力ではありますが、現状の厳しい時代を変革し、我々の子孫によりよき時代を提供できますようにこれからも自分磨きの毎日がつづきます。 |
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